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編集長インタビュー: 摩数意英子~シングルアクションハープのすすめ

 

 

 温故知新。古きを訪ね、新しきを知る。いま音楽界では、昭和のシティポップスが流行ったり、1980年代の国産ブランド・コピーのエレキギターに高値が付いたり、良いものとは必ずしも最新のものではなく、結局のところ魂がこめられた、あるいは時代の息吹が宿ったものだったりすることに、今の若い世代も何となく気付いているのだろう。

 

 摩数意英子は、ハープ界のレジェンドである。藝大で日本画科に入学したものの、1957年日本で始めて雨田光平が持ち込んだとされる小型ハープ、いわゆるアイリッシュハープ に魅せられ、光平の息子・雨田光示に師事。初歩の指の練習をして行くと、今までこわばっていた身体が、自分の出した響きでみるみる緩んできて、時間を忘れて練習。藝大という最高学府で絵を学んでいる自分。ハープに魅入られている自分。日本画の教授に相談すると、「乗りかかった船です(今さら)」という言葉。ところが光平師は、「何でもやりなさい」だった。この言葉に吹っ切れて、ヨセフ・モルナール、桑島すみれ、からも教えを受け、藝大の別科から大学院、ローマに給費留学もして今日のハーピストの最高峰に立つ。しかし、雨田光平氏の“芸術は色々な道と可能性がある“ことを示唆した返答は、ある意味、摩数意のその後のハープ人生を決定付けたとも言えるだろう。アイリッシュハープから始まり、グランドハープも極め、箜篌(くご)の研究、そしてシングルアクションハープの日本では数少ない伝道者として、今も八面六臂の活躍を展開している。また、年齢不詳の若い演奏ぶりは、昨年亡くなった西野皓三の指導のもと20数年続けて来た西野流呼吸法、最近は揺禅気功で体幹作りを心がけていることが、ハープ演奏の際、体を楽に使う事ができるという。レッスンの初めに、生徒が仕事などのストレスで身体が思う様に使えないときや、年配の方には、体幹の体操から始めることもしばしば。そうすると楽々と演奏できると、生徒たちも驚いている。

 

 多くの活動のなかでも興味深いのは、シングルアクションハープの啓蒙である。あのマリー・アントワネットがこよなく愛したとされるハープ。歴史の営みはそう簡単な道程ではないが、簡潔にいえば、アントワネットが刑場の露と消え(時代の強力な支持者を失い)、ほどなくエラール社がユニークなハープ=現在のグランドハープの原型が蔓延し(技術革新があって)、シングルアクションハープ自体には何の落ち度もないのに、時代の波間に消えていってしまったといえよう。グランドハープより一回り小さく、弦数も少なく、響板も大きくはないが、リッチだがダークで締まった音を出す。演奏できる曲の数もグランドハープと比較して少なくなるのだが、取材中に聴いたサウンドは、独特かつ新鮮なものであり、古さは一切感じなかった。摩数意は早くからこのシングルアクションハープの深淵に触れ、まさに温故知新を実行した。歴史に埋もれさせるべきハープではないと考え、今も後進へその魅力・奏法を伝えている。東京・銀座十字屋ハープ&フルートサロンでも、シングルアクションハープ講座を開いており、その門戸は広く開かれている。マリー・アントワネットに憧れて・・・など動機は何でもよい。プロ・アマ問わず、レジェンドの叡智に触れるチャンスであると共に、むしろ担い手が少ないからこそ、シングルアクションハープを新しい楽器としてマスターしてゆく愉しみと可能性を、摩数意のレッスンでは体感できることだろう。
「たとえばピアニストがチェンバロも弾けるという場合に似て、グランドもシングルアクションもハープの選択肢のひとつになります。確かにレパートリーは古典派からの選択に限られたりもしますが。でもこの弛み加減を知ってしまうと、何でグランドでそんな力をかけなくてはいけないのと思うくらい力みがなくなりますね。音も立ち上がりがよく、減衰は早いですが音が混ざらないという特長があります。楽器が自分の言葉をもっている。その言葉を引き出すのが面白いのです。最初は良い音が出ないかもしれない、けれど不思議なことに内面から楽器と対話しようとして弾くと、向こうから歩み寄ってくれてお喋りを始め、最初とは比べ物にならない音楽になるのです」。

 

 今回かなり割愛したが、さすがに日本ハープの黎明期からの研鑽があるので、多くのエピソードの引き出しがある。シングルアクションハープの習得のみならず、ぜひ彼女のハープの経験、含蓄、こぼれ話を、レッスン時に体験してほしい。ハープ生活へのヒントが満載なはずだ。ちなみに、摩数意(戸籍名は、摩壽意)という珍しい苗字の由来についても伺った。福井三国町の宮大工のご先祖が、元は飛騨高山の井戸掘り名人で、実は当時の姓が「増井」だった。人々の糧となる井戸を増やした功名で、彼女が現代のハープ界において、色々な可能性を掘り下げ、今も“井戸”を掘っている様は、まさに「名は体を表す」という言葉そのものなのである。

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