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編集長インタビュー:アレクサンダー・ボルダチョフ 前編

Photo from Alexander Boldachev Home page

 

 皮肉なもので、サーシャが彼の母親がマネージャー代わりで来日して、初めてステージの楽屋裏で会ってから、あれだけ愛国心が強い青年だったのに、故郷ロシアのウクライナ侵攻に抗議の意味を込めて、まさか国を抜けるという行動を起こすとは思ってもみなかった。やんちゃだけどシャイなところもあるハープの天才は、いつしかサーシャ・ボルダチョフからアレクサンダー・ボルダチョフと呼称が変わり、平和を希求し、音楽と行動によって主張する音楽家へと変貌を遂げていた。久しぶりの邂逅で“サーシャ”が、インタビューに応えてくれた。長いインタビューを短くまとめたものを、前編・後編に分けてお届けする。

 

 

―この1年、流行り病の蔓延、そしてウクライナ侵攻・・・思いもよらぬ出来事があって、特に自国の政策に異を唱え、故郷を離れることになったあなたにとっては、想像を絶する年になってしまったけれども、いま改めて振り返ってみてほしい。

 

 

サーシャ:ウクライナの人々の損失や苦しみに比べれば、私たち個々に起こったことなど、誰にとっても単に個人的なドラマであり、何の意味もありません。彼らは命をかけて自由と私たちの未来を守ってくれているのですから、私たちは全力で彼らをサポートすることでしか恩返しができません。確かに、もちろん、昨年に起こったことすべてが私の人生を完全に変えてしまった。2022年1月、当時私はCOVID-19(コロナ)がもたらしたすべての災難が、ほぼ終息に向かっていることを感じていました。それを受けてロシアでも、世界でも、いろいろな計画が目白押しだったのです。さらに言えば、2月末にはウクライナでもいくつかのコンサートが予定されていた。だがウクライナの状況が悪化し始めたときに、それらはすでにキャンセルされていたのです。まさにその2月に入ってから、人生が変わった。モスクワでのグリエール・コンチェルトの演奏を最後に、私は翌日から故郷を捨てることになったのです。音楽家は演奏が武器です。その後私は、チャリティー・イベント、公演、ウクライナのミュージシャンとのコラボレーションなど、数え切れない催しに参加しました。本当、数え切れないほどにです。さらにスイスのチューリッヒでは、友人たちと難民を支援するための協会「LYUDY」を設立しました。心にぽっかりと開いてしまった大きな穴の痛みと空虚感を和らげるには、自分にはそれしか方法がなかった。なかでも最大の救いだったのは、ロシアで最も有名な若手女優、チュルパン・カマトワとのデュオ作品「オルフェウス」を創り上げたことでした。ご存知かもしれませんが、戦争時代と平和時代のさまざまな詩や音楽を盛り込んだ「オルフェウス」は、きっと今の時代の地獄から人々を救い出してくれるだろうと思っています。現在、すでに25回以上の公演を終えました。こういう時だからこそ、私は前向きに、新しい作品のリリース、新しい編曲、アルバム作りに取り組もうと思っています。でも、今はすべて故郷と平和を取り戻すための副次的な活動です。私はネットで皆さんと繋がっています。ホームページではニュースや私の創作物、楽譜などを、Instagram、YouTube、Facebookなどでは、動画やスケジュールをいつでもチェックすることができますよ。(次回に続く)

 

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