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名盤リワインド㉘ エラート録音集大成 / リリー・ラスキーヌ

 

 物事の成功の裏には、必ず立役者がいる。独創性と公的認知。この水と油の要素が合致するとき、エポック・メイキングな成功が約束される。いくら才能があっても、それが広まらないと埋もれてしまうし、他とは比べられない突出した何かがないと人々の耳目を引かない。ドイツ、イタリアといった音楽王国がありながら、ハープにおいてはなぜフランス近代は隆盛したのか。以前、教育という地味だが着実な育成を計画的に行って来たアッセルマンのことを取り上げたが、他に忘れてならない立役者として、フランスのハープ楽曲の素晴らしさを表現する語り部と、それを拡散した組織があったことだ。リリー・ラスキーヌとエラート・レーベルである。

 

 エラートは、1950年代半ばに結成されたレーベルで、バロックや古典を中心に、フランスのクラシックと演奏者を厳選してレコーディングしてきたレーベルだ。彼らは何も懐古趣味なわけではなく、良いものを選りすぐった末、そういったジャンルの録音が多かっただけで、後にその審美眼が評価され、1960年代にはフランスを代表するクラシック・レーベルのひとつになっていた。著名なフランス人奏者も参画するようになり、ジャン=ピエール・ランパルもこのレーベルに吹き込むようになっていた。ランパルといえば、ピアノや弦楽器のように、フルートを大衆の前での演奏に応えうる楽器であることを、世界で初めて認知させた男だ。ランパルは、フルートと同様、やはりハープも実はオーケストラの後方に座らせておくような楽器ではなく、しかもフルートとは相性が良いことを知っていた。そこで、温めていたモーツァルト「フルートとハープのための協奏曲」を1958年に、当代最も上手いと評判だった女流ハーピストを迎えて録音する。これが決定的な歴史的録音として評価され、ランパルの名声のみならず、エラート・レーベルも認知され、何よりハープという楽器の良さが大衆にも受け入れられる素地となった。そのハーピストこそ、リリー・ラスキーヌなのである。

 

 ランパルと組む前から、ラスキーヌは知る人ぞ知る存在だった。16歳でパリ・オペラ座管弦楽団にハープ奏者として入団。オペラ座の歴史上で初めて入団を許可された女性演奏家として、話題にもなった。だが肝心のハープそのものが、社会認知はまだまだ浅かった。しかし、ランパルとの共演でラスキーヌの凄さが喧伝されるようになり、1963年に同曲が再びこのコンビで再録されたところで人気の頂点を迎える。エラートは、図らずもラスキーヌというフランスの至宝を手に入れ、1958年のランパルとの共演から、1981年までフランスのハープ楽曲の今と歴史をラスキーヌの演奏で吹き込み続けた。これが莫大な遺産となったのは、想像に難くない。当時はボックスセットなどはなかったが、恐らく現在のフランスのハーピストたち、教育者たちは、みなたとえ断片的ではあっても、ラスキーヌを聴いて育ったのだから。

 

 さて、CD10枚が収められたボックスセットの本作は名盤というよりも、フランス近代のハープ大全であり、まさにバイブルである。ただし、今の我々が享受している多くのフランス近代の曲というよりは、彼女は先駆者だから現代より少し前の時代の楽曲/作曲者が取り上げており、まさに彼女が前時代と近代を結びつけたブリッジのような役割を果たし、古い曲でもリモデルされて継承されてきたことが、手に取るように分かる内容になっている。彼女の演奏や業績が素晴らしかったことは、ここで語るのは野暮だから止めておくが、これらの録音によっていつでも歴史を再現でき、ハーピストはいつでもこれらの演奏に学んで温故知新の利を得ることができる。エラートも、よくぞ録音を残してくれたものだと感謝したい。特に、ランパルとの決定的録音のオリジナル、すなわち最初の共演である1958年のステレオ録音盤は、このボックスセットでしか聴くことはできないのだ。良いものを後世に残すというのは難しい。エラートレーベルも多くの成果を謳歌したが、その頑な制作姿勢が反って仇となり、多様化の時代の波に乗れず、後にワーナー傘下のレーベルとして吸収されてしまう。ラスキーヌも、もうこの世にはいない。しかし本作のような宝は、戸棚に締まっておくのではなく、我々が次代へ語り継ぐ音楽のヒントにしたいものだ。

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