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名盤リワインド⑩ ライヴ・イン・モントリオール/上原ひろみ×エドマール・カスタネーダ

 

 天才は一日にして成らず。まさに、彗星のように現れたハープの天才である、エドマール・カスタネーダの名前は、ハープ界では知っている人と知らない人に二分されている。もっとも知名度という点では、まだまだこれからだが、知らない人の大半は、たぶん彼の音楽にそもそも興味がない向きだ。ラテン、ジャズ・・・しかもグランド(ハープ)弾いてないという理由、それにクラシックでもないから。だが知っている人の多くは、彼が演奏するハープに楽器としての可能性と、驚愕のテクニックなどに瞠目している向きが多い。きっと幼少の頃からの才能で、出るべくして出てきた天才なのだろうと思ってしまうが、実は工夫と努力の結晶であることを知ると、どのようにして今日の演奏を身につけたのか俄然知りたくなってしまう。

 

 カスタネーダは、34弦のコロンビアン・ハープを使う。この際、「じゃあ、正統派のハープじゃないじゃん」という外野の声は無視する。コロンビア人で父の仕事で一家は渡米しNYに住むこととなった。すでに南米のムシカ・ジャネーラは学んでいた。だが、彼はアメリカでジャズに出会ってしまう。伝説のサックス奏者チャーリー・パーカーのビ・バップに目覚めてしまったのだ。彼は高校・大学でジャズ・バンドに入ったが、トランペット担当だった。なぜなら、コロンビアン・ハープのパートなどないから。だが、夜ごと彼は昼間に覚えてきたトランペットのフレーズを、ハープに置き換えて練習し続けた。トランペットの腕を磨くのではなく、もっぱらハープの方を練習していたというのが面白い。実は、これが既成概念を打破する第一歩だった。ハープの上達だけでなく、管楽器のノウハウとその知恵を活かしてハープへと転写する技も会得したのだ。さて、大人になり、音楽家として生計をたてることにした彼は、生き馬の目を抜くNYで自分が目立つには、やはり誰もやってないことに目を向けるべきだと得心する。試行錯誤で練習に励む中、あるレストランでの仕事が巡ってきた。雇う側にすれば、失敗すれば替えの出演者が山ほどいる。そんな中で、彼はソロで雇われた。雇う側に、バンドなど迎える金などないからだった。彼は、その日からハープ一台でいかに効果的な音を出し、立体的な響きを持たせるかに腐心した。そうしていわゆる、「ワンマン・バンド」スタイルを確立させた。メロディラインに留まらず、ハーモニー&ベースライン、立って演奏して体でリズムをとりながら、時にはハープのボディを叩き、ソロで音楽を組み上げる。やがて噂は評判を呼び、NYを飛び越え世界で彼の名前は瞬く間に知れ渡り、唯一無二の存在として今では認知されている。

 

 本作は、日本人ジャズ・ピアニストの上原ひろみ(五輪開会式で当時の市川海老蔵と共演)とのデュオのライブ盤だ。5年前のカナダのモントリオール・ジャズ祭における収録。そもそも出会いは、上原が「ハープって、こんなことができる楽器だったの?」という驚愕に端を発している。先鋭派の彼女でさえ、ハープを古式ゆかしい楽器くらいの認識しかなかったのだ。二人は、日本人でも小柄なほうの上原と並んでも同じくらいの背丈だ。小さいがやることはデカい。常人離れした二人の演奏に、今度は聴衆の方が驚いた。上原も叩き上げの天才だが、この作品の醍醐味は、ひとえに反射神経の応酬。ジャズである以上、即興は避けて通れない。この即興の掛け合い こそ、カスタネーダが少年の頃憧れたチャーリー・パーカーが、盟友のトランぺット奏者ディジー・ガレスピーと繰り広げたアドリブ応酬の極致であり、二人の邂逅はまさにあの伝説の再現になったようだ。コロンビアン・ハープだから、自分には関係ない・・・と思う方、では近年、「グランドハープの演奏家で、既成概念を打ち破るような、胸のすく凄い演奏をどこかで聴きましたか?」と問うてみたい。実際、今まではハープの響板叩くなんて「ありえねー」だったのが、サルヴィの新製品エレクトラでは、現に電気ハープの響板に、なんと響板ドラミング用のマイクが設置されているではないか。この傾向は、カスタネーダのような存在が、楽器を作る側の概念も壊しつつある証拠ではないかと思う。このアルバムを聴いて実感したのは、上原の言葉をそのまま借りれば、「ハープって、こんなことができる楽器だったの?」に尽きるだろう。

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